めんへらるんるん【日刊】

がちめんへら女子を合法観察できる日刊ブログ

味覚まだしんでなかった

最近いろんなものがおいしくなくて、炊飯器で米炊いてもまずいって思う瞬間があってやばいなと思ってたんですけど、今日カレーとささみしそフライ食べたらめっちゃ美味しくって、まだ味覚しんではいなかった。良かった。

 

会いたかった人とも会って話せたし、またアナログ絵をやるのもいいなあって思えたし。

 

もし味覚が現在進行形でしんでいってるとしても、外に出ればおいしいと思えるものがありそうな気が持てた。自分で作るごはんとか、近所のスーパーのお惣菜とかが美味しくなくても、半径せいぜい1キロくらいの出来事って思ってしまえば。

 

衣が美味しくって…コンビニとかスーパーとかの揚げ物って、衣が分厚くってザクザクか時間たって変にしっとりしてるかばっかりじゃないですか。そうじゃないのはメチャクチャ久しぶりに食べた。好き。

 

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病院でも相談したけど、メンタルやられてると味覚もやられることがあるって。

よかったー、まだうまいもんがあって。

 

なんか美味しいものがあったら教えてください。遠出する理由にもなるから。笑

そういえば未来のことを考えてなかった

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無性にイライラして断捨離を始めている所です。「ミニマリスト」でググっては記事を読み漁ったり、画面を切り替えるたびに出てくる広告にキレそうになったりしながら、とにかく棚からモノを出しては分別していると懐かしいものもいっぱい出てきて「あの頃はそうだったなあ」「そういうことがあったなあ、ああいうこともあったなあ…」って、記憶であふれてきました。

 

ブログでも数年前の写真をサルベージしては「こういうことがあった」とか「写真で思い出せるからいいねえ」って語ったりとかしてますが、つくづく実感しました。私は過去のことを思い出すのが得意だ!!

得意なのはいい。たった一枚の写真やたった一つのモノから、いろんなことを思い出せます。泊まったホテルにチェックインしたときのことやら、一緒にキーホルダーを買った人のその日の様子やら、ドバドバと。

まま、ええわ、ところで私、過去のことはいっぱい思い出せるし頭のストレージ使ってる感あるけどさ、未来のことはどう?考えてる?

 

そういえばあまり考えていない!

 

書類の提出日とか、ブログで書きたいと思ったこととか、そういうことは考えますけど、例えば「これを達成した時の自分の様子」をイメージしたりだとか、「ここに行って具体的にどういう過ごし方をしたいのか」とか、そういう、未来のことに頭を使っていない。

 

いや、頭を使えていないのかもしれない!!?

 

頭の中のストレージの割合、過去8割未来2割、いや未来1割かもしれない。

バランス悪すぎないか?

 

というか私、過去のことにこだわり強すぎ…!!?

 

 

ミニマリストの記事を読んでいる中で、「それを見ないと思い出さないような思い出は不要」みたいなニュアンスのことが書いてありました。

私はどうだ、写真やキーホルダーを見ては、忘れたと思ったことをたっくさん思い出すことばっかりしている。それにけっこう脳力を持っていかれているのではないか…??

 

モノ捨てながら、そう思っちゃったんです。こないだブログで言ってたことと全然違うじゃんかとセルフツッコミもしました。だって今「全部覚えておく必要はないし思い出す必要もない」って思っちゃってますもん、私。

 

(ただ、取っておくべき写真やモノはやっぱり、確実に、あるという考えは違いないです。今でも私の母子手帳見ながら泣いてますし、2000年に飼っていたハムスターの写真は捨てられないし、大学の頃に撮った山のような写真を見ながら、なんだかんだ4年間私頑張ってたじゃんっていう自信になってます)

 

断捨離とかミニマリストとかの記事はほかにもいっぱい読みましたが、改めて私は過去の思い出に囚われすぎなのかなあって…。

いや、過去のことを思い出せるのはいい。いいけど、過去のことを思い出すことに、無意識に結構なパワーを持っていかれてしまっているのでは?そのせいで未来のこと、今のことをしっかり考えきれないのならそれはよろしくないのでは?

 

あまりに自然に過去のことを日常的にたっくさん思い出しているので、あんまり意識してなかったんですけど、私の脳には限界があるし、ただでさえ病気で弱っているのに、なんだろ。「ああ、こういうことしてたわ~」ってひとりで思い出して浸っている時の時間が多すぎるのでは?ブログの記事一覧見てみてよ、これからの予定を書いている記事あるか?私。「これはよかった」「こう思いました」で多すぎる…??

 

見返して思い返して、今のモチベ・活動力になってるか、なってないか。

なってる→母子手帳、おばあちゃんが作ってたアルバム、昔飼ってたハムスターの写真、寄せ書き、マトイちゃんのフィギュア、Miliの色紙、デートしたときの写真、卒論のために撮りまくった記録写真、文化祭でゴミに囲まれている写真、人生のバイブルだと言える自己啓発本など

なってない?→動物園の動物の写真(今行ってもだいたい同じもの見られそう)、5年間くらいやってないゲームソフト、吹奏楽の練習のために録音させてもらったCD、4年前のIT系の本など

 

なんか、まだまだこれからの歳なのに、今とこれからを生きていかなきゃいけないのに。ミニマリストの意見に染められすぎたのかな?私は小学生の頃の趣味が「小物集め」だったレベルでモノを溜めこむ真逆の人間です。いつ書いたか忘れたけど、「忘れないようにその日にモノを買う」とか言ってました。ミニマリストからすれば発狂レベルの行為じゃないかと思います。ぜんぶを丁寧丁寧丁寧に記録していたら過去で溢れかえってしまっていた気がします。

 

応援してる女の子は、実現したいことに向けてサイトを作ったり、ツイッターでやりたいこと表記したりして動き出しているし、私が参加している会の主催の人は、過去のことをわざわざ思い返すことはほぼしない人で、次にやろうとしている会のことや、参加者を見つけるために、(本人曰く)わけのわからないインスタをやってみたり、本を読んだり別の会に参加したり。

好きなアーティストは、CD制作時のエピソード語りながらも「次はこういうライブしたい」「野望はコレだ」って言ってる。

 

そういう憧れの人たちは、未来のことをすごく考えてて、過去のことを思い出しても「こういうことがありました。今はこうでこれからはこうやっていきたい」って言ってます。

私はそれが欠落していると思いました。どこかのライフハック記事読んで、やりたいことリスト100書くのもやってみました、が…書けない…。

 

 

新しい趣味を見つけるのは得意なんですけど、意識して増やそうとは思ってなくて、気づいたら「ああ好きかも」ってなってて、そこまで高い熱意もなくって(これも前にブログで悩みとして書いた)、いいなと思ってもそれにまっしぐらになれなくて、結局「やるぞ」と思って動き回ることをあまりしないです。だから「推し」のために仕事して飛び回って、帰ってきたらチェキ見ながらまた次の遠征予定立てるような子がすごくキラキラしてみえちゃうんです。

それくらい私は、やりたいことや、やろうとしていることが、うっすいんだなあって…。

 

カッコよく言うと、私の脳内、デフラグで最適化されてなくて、「過去」がつっかえて、「未来」「今」が入り込む容量が不足している感じです。新しいアプリ入れようとしても容量不足、でもこれ以上今のアプリ消せないし~あきらめるか~って感じです。

 

 

今日、「よし!未来のこと、かんがえるか!」って思ったとしてもたぶん、考えらんないんだろうなあとも思います。過去なんとかするか、私の脳内の容量が飛躍するか(無理)。

 

やっぱり、ついていきたい人、あこがれる人、キラキラしている人はいっぱい未来のこと考えてるな、私もそうなりたいなって思ったのでした。

アップロード中が終わらないのは画像データが大きすぎるせい?(はてなブログ)

はてなブログなんですけど、たまに「写真を投稿」で「アップロード中」のぐるぐるが永遠に終わらないことがあるんで、ググったら、なんだか画像の容量が大きすぎるとなるとかなんとか。

ためしに画像加工ソフトで容量落としたらアップ出来ました。試してみる価値ありなんだけど、というか乗せたいならやるべき?なんだろうけどメンドクサいね。

 

今日アップしようとして失敗した写真の容量落としたらアップできた。↓

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この写真について「食ったら不味そう」っていうブログを書こうと思ってた(過去形)。黒と白の割合が高し高し。黒と白で出来てる美味しい食べ物ってある?そもそも人ごみは食わないからいいや。

きらいとか、やりたくないとか、だまれとか

マイナス方向のことばっかり考えてしまう。

 

ほんとは「すき」「やりたい」「聞いて」って前向きにしていたほうはもっと世界はキラキラするだろうし、楽しい事もいっぱいあるだろうけど、気づいたら真逆のことを考えてる。

 

ツイッターひらいてもマジで無理無理無理無理なことばっかり。そういう人いるんだ無理、そういう考えがあるんだ無理、そういう創作無理。

「見なきゃいいじゃん」っていうのも無理。「気にしすぎだよ」も無理。自分が無理すぎる。自分のおっけーな範囲とか許容メーターが狭すぎて無理。無理なもんは無理だよ。

 

ネガティブすぎて卑屈すぎる私自身が無理。無理なもんと四六時中肉体共にしている時点でもうだめだ。つらたん。

 

比較的メンタルが大丈夫なときは、ポジティブにいこうぜ的な考え方に対して「そうだそうだ」と思ってたけど、今は「やっぱ無理」だ。たった一人しかいない私のくせにこんなに真逆のことを考えてしまうんだからダメだ。THE情緒不安定。「こないだと言ってることちげーじゃん」って言い捨てて去っていく人がいるかもしれない。ビジネスだったら大目玉くらっちゃうわ。

同年代の友人に断薬を勧められるのはなんだろ

メンタルの病気だと打ち明けると、即、「え、じゃあ(今も)薬飲んでるの?」「薬を減らそう?」って言われるのなんだろ。肝臓に悪いとか薬に頼ってしまうとかいろいろあるのはわかってるけどさ。意識高い人(っていったらなんだけど)に体感よく言われる。社会人自己啓発セミナー(20~30代向け)で会った人に何回も言われたからそう感じたかも。

 

そりゃ薬減らしたいし飲まない生活になりたいけどさ、休養とか通院よりも減薬のほうが優先度高いのかな。

 

(※医師に相談しないで勝手に減薬や断薬したらだめだよ!!)

 

飲まずに何とかなりそうレベルではないから、辛すぎるから、薬飲んでるってとこをすっ飛ばされている。薬飲まないと休養すらできない。即座に減薬への努力をしろと言われているようで辛い。

うつ病の人に「薬減らそう」という人たちは、不眠症の人にも「薬減らそう」と言うのだろうか?「薬使ってでもいいから寝たほうがいいよね」って言うかな、私だったら。

 

私は全盛期よりだいぶ薬の量が減りました。3年前の3割くらいかなあ。3年前が異常だったんですけど。それでもまだまだ。減薬するのには時間も必要。

 

毎日毎日、スケジュールが埋まっていて、20代30代を仕事とともに爆走していく人に背中を叩かれて励まされても、私は休み休みでしか走れない。

 

小学校の頃に、発表の声がすごく小さかった子がいて、先生や同級生に何度も何度も「声を大きく!」って言われても、卒業するまで最後まで大きい声が出せない子がいたのを思い出した。やる気の問題とか意識の高さ低さではなく、ほんとに「できない」ってことを、あの頃は理解できなかった。私は声がデカいほうで、声大きくって注意する側だったから。笑

でも、できないことは、できないわ。無理強いするのも違ったな。

 

今こうやって、減薬減薬言ってくる人に私は怒ってるけど、私も気づいていないだけで、自分の通常運転を誰かに押し付けていたり、ほかの人にも当てはめてしまっていたりするんだろうなあ。

 

今回はこうやってブログがあるので、言われる側のちょっとした主張をしてみました。おわり

脳裏に焼き付けるには限界がある

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3年前にコンロにつっこまれたマシュマロの写真。

 

すごく、くだらない。

行かざるを得なかった会社のバーベキューで食べた焼きマシュマロがめちゃくちゃおいしくて、家でやろうと思ったら燃えた。ひとりで笑ってひとりで写真撮ってTwitterにアップしたのを覚えてる。

 

たった1枚なのにこれだけ思い出せるし、写真撮ってなかったら思い出す機会の無かったどーでもいい事。

 

日常のどーでもいい事でもとりあえず写真を撮るようにしている。今は「あたりまえ」の生活でも数年後にはもう戻ることのできない日常なのは確か。

 

ノーパソ2台広げて卒論書いてる写真もあった。(他人のPCだったのでアップはしないけども)

カメラまわして夜遅くまで取材してるときの写真もあった。

 

旅行したとか、珍しいもの食べたとか、行事があったとかの時しか写真撮ってない人もいると思うけど、カメラ付き携帯スマホ持ってるならとっても勿体ない。

 

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世の中いつ災害が起こっていつ一瞬で景色が変わるかも分からない。

精神障害者手帳を提示するハードル

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精神障害者手帳を提示すると、美術館や動物園などが割引されたり、運賃を安くしてくれる交通機関もあります。

恩恵を受けるためには、当たり前なんですが、障害者手帳を提示する必要があって、なかなか……つらいんです。

 

「どう思われるんだろう」つらい

・受付の人にどう思われるんだろう

・周りの人からどう思われるんだろう

 

二大どう思われるんだろうつらいです。

 

特に「元気そうじゃないか」「この人割引うけるの?」って思われるんじゃないかっていうのが大きな不安でして、特に私の場合は、外見からじゃ障害者に見えないんですよね。身支度して家を出て美術館まで行くっていうのに猛烈なパワーとかコントロールできない体調とかを無理くりアレコレしてやっとチケット売り場までたどり着いたとしても、そこらへんを歩いている女子集団に紛れてみればもう分からんのです。

 

一番怖いのは「ズルくない?」って思われること。正当な手続きを踏んで主治医に書類書いてもらって取得しているわけなんですが、それこそ「甘え」と言われてしまったら私は帰るどころか動けなくなると思うんです。それくらいえげつない言葉です。だから、直接言われなくても、私のことを一瞬でも疑うような表情や態度をとられたら、「そう思われてしまっているかもしれない!」という感情意外起こらなくなっちゃって、これはもう言われるのと同じレベルで辛い。

 

割引 <<<<< ズルいと言われるリスク

 

こんなにヒヤヒヤしながらドキドキしながら、寿命縮めながら障害者手帳提示するくらいなら、もう出さなくていっか……って……。だって普通に見えるんでしょう。出さずに普通料金で入って顔をゆがめる人、いないです。

 

自己申告していない状態で「障害者手帳出さないのかな~?」って言われることなんて、ないです。年末調整業務をした時ですら、本人が申告してきたとき以外にコピー出してと促すことなかったですし。

 

例えばチケット売り場の職員さんが全く怪訝そうな顔をせずに「はい、大丈夫ですよ」って言ってくれるかもしれない。たぶんそう。特に公共施設ならそうだと思う。体感9割そうでした。

 

でも、私の後ろに並んでいる人は、周囲にいる人はどう思っているか、わからんのです。

 

周囲のひとゼロで手帳を提示することは、かなり難しいし不可能な場所も多いです。頑張って並んだ列から外れることも体力的にきついですし。ほかには、例えばバス終点で自分が最後に降りてほかの人ゼロなら提示する勇気出るかもしれないけど、途中下車でほかの人もいたら……出しづらい。もしもうっかり運転手さんがマイクつけたまま「えーと障害者料金……」って声に出してしまったらどうしようほんと、ってグルグルグルグルしているうちに苦しくなってきて、で、提示せずに降りてしまいます。

ほんと、見た目が、我ながら「席譲ってくれそうな若い女の子」なんです。

 

悪用でもされたらいけないので、提示するというルールは必要だし当然で、合理的とは思っています。でもメンタルブレイクするリスクがあると思うとなかなかきついです。

そしてまた自分の首を絞めてしまうんですよね。引きこもりが加速したり、金銭的に苦労したり。

 

考えすぎだと思われるかもしれないですけど、それくらい考えないとたぶん、不具合を出している自分のメンタルを守れない、いわば防衛本能のようなものなのでしょうか。気にするなと言われても難しいものがあります。これも甘えだとか言い訳だとか言われるとどうしよう、なんてことも、今、これを書きながら思ってるくらいです。

 

そんなこんなで、障害者手帳を提示することがメンタル的に大変な私です。