そういえば未来のことを考えてなかった
無性にイライラして断捨離を始めている所です。「ミニマリスト」でググっては記事を読み漁ったり、画面を切り替えるたびに出てくる広告にキレそうになったりしながら、とにかく棚からモノを出しては分別していると懐かしいものもいっぱい出てきて「あの頃はそうだったなあ」「そういうことがあったなあ、ああいうこともあったなあ…」って、記憶であふれてきました。
ブログでも数年前の写真をサルベージしては「こういうことがあった」とか「写真で思い出せるからいいねえ」って語ったりとかしてますが、つくづく実感しました。私は過去のことを思い出すのが得意だ!!
得意なのはいい。たった一枚の写真やたった一つのモノから、いろんなことを思い出せます。泊まったホテルにチェックインしたときのことやら、一緒にキーホルダーを買った人のその日の様子やら、ドバドバと。
まま、ええわ、ところで私、過去のことはいっぱい思い出せるし頭のストレージ使ってる感あるけどさ、未来のことはどう?考えてる?
そういえばあまり考えていない!
書類の提出日とか、ブログで書きたいと思ったこととか、そういうことは考えますけど、例えば「これを達成した時の自分の様子」をイメージしたりだとか、「ここに行って具体的にどういう過ごし方をしたいのか」とか、そういう、未来のことに頭を使っていない。
いや、頭を使えていないのかもしれない!!?
頭の中のストレージの割合、過去8割未来2割、いや未来1割かもしれない。
バランス悪すぎないか?
というか私、過去のことにこだわり強すぎ…!!?
ミニマリストの記事を読んでいる中で、「それを見ないと思い出さないような思い出は不要」みたいなニュアンスのことが書いてありました。
私はどうだ、写真やキーホルダーを見ては、忘れたと思ったことをたっくさん思い出すことばっかりしている。それにけっこう脳力を持っていかれているのではないか…??
モノ捨てながら、そう思っちゃったんです。こないだブログで言ってたことと全然違うじゃんかとセルフツッコミもしました。だって今「全部覚えておく必要はないし思い出す必要もない」って思っちゃってますもん、私。
(ただ、取っておくべき写真やモノはやっぱり、確実に、あるという考えは違いないです。今でも私の母子手帳見ながら泣いてますし、2000年に飼っていたハムスターの写真は捨てられないし、大学の頃に撮った山のような写真を見ながら、なんだかんだ4年間私頑張ってたじゃんっていう自信になってます)
断捨離とかミニマリストとかの記事はほかにもいっぱい読みましたが、改めて私は過去の思い出に囚われすぎなのかなあって…。
いや、過去のことを思い出せるのはいい。いいけど、過去のことを思い出すことに、無意識に結構なパワーを持っていかれてしまっているのでは?そのせいで未来のこと、今のことをしっかり考えきれないのならそれはよろしくないのでは?
あまりに自然に過去のことを日常的にたっくさん思い出しているので、あんまり意識してなかったんですけど、私の脳には限界があるし、ただでさえ病気で弱っているのに、なんだろ。「ああ、こういうことしてたわ~」ってひとりで思い出して浸っている時の時間が多すぎるのでは?ブログの記事一覧見てみてよ、これからの予定を書いている記事あるか?私。「これはよかった」「こう思いました」で多すぎる…??
見返して思い返して、今のモチベ・活動力になってるか、なってないか。
なってる→母子手帳、おばあちゃんが作ってたアルバム、昔飼ってたハムスターの写真、寄せ書き、マトイちゃんのフィギュア、Miliの色紙、デートしたときの写真、卒論のために撮りまくった記録写真、文化祭でゴミに囲まれている写真、人生のバイブルだと言える自己啓発本など
なってない?→動物園の動物の写真(今行ってもだいたい同じもの見られそう)、5年間くらいやってないゲームソフト、吹奏楽の練習のために録音させてもらったCD、4年前のIT系の本など
なんか、まだまだこれからの歳なのに、今とこれからを生きていかなきゃいけないのに。ミニマリストの意見に染められすぎたのかな?私は小学生の頃の趣味が「小物集め」だったレベルでモノを溜めこむ真逆の人間です。いつ書いたか忘れたけど、「忘れないようにその日にモノを買う」とか言ってました。ミニマリストからすれば発狂レベルの行為じゃないかと思います。ぜんぶを丁寧丁寧丁寧に記録していたら過去で溢れかえってしまっていた気がします。
応援してる女の子は、実現したいことに向けてサイトを作ったり、ツイッターでやりたいこと表記したりして動き出しているし、私が参加している会の主催の人は、過去のことをわざわざ思い返すことはほぼしない人で、次にやろうとしている会のことや、参加者を見つけるために、(本人曰く)わけのわからないインスタをやってみたり、本を読んだり別の会に参加したり。
好きなアーティストは、CD制作時のエピソード語りながらも「次はこういうライブしたい」「野望はコレだ」って言ってる。
そういう憧れの人たちは、未来のことをすごく考えてて、過去のことを思い出しても「こういうことがありました。今はこうでこれからはこうやっていきたい」って言ってます。
私はそれが欠落していると思いました。どこかのライフハック記事読んで、やりたいことリスト100書くのもやってみました、が…書けない…。
新しい趣味を見つけるのは得意なんですけど、意識して増やそうとは思ってなくて、気づいたら「ああ好きかも」ってなってて、そこまで高い熱意もなくって(これも前にブログで悩みとして書いた)、いいなと思ってもそれにまっしぐらになれなくて、結局「やるぞ」と思って動き回ることをあまりしないです。だから「推し」のために仕事して飛び回って、帰ってきたらチェキ見ながらまた次の遠征予定立てるような子がすごくキラキラしてみえちゃうんです。
それくらい私は、やりたいことや、やろうとしていることが、うっすいんだなあって…。
カッコよく言うと、私の脳内、デフラグで最適化されてなくて、「過去」がつっかえて、「未来」「今」が入り込む容量が不足している感じです。新しいアプリ入れようとしても容量不足、でもこれ以上今のアプリ消せないし~あきらめるか~って感じです。
今日、「よし!未来のこと、かんがえるか!」って思ったとしてもたぶん、考えらんないんだろうなあとも思います。過去なんとかするか、私の脳内の容量が飛躍するか(無理)。
やっぱり、ついていきたい人、あこがれる人、キラキラしている人はいっぱい未来のこと考えてるな、私もそうなりたいなって思ったのでした。