女の子に好かれる女の子は素敵
めっちゃ好きな女の子がいて、その子はほかのいろんな女の子と話したり活動したりしてて、素敵で、いいなって思ってて…いいな。
男性に好かれる女の子はいっぱいいると思うけど笑
女の子に好かれる女の子ってその子の才能というか持ち前のオーラとか、たぶんそういうの。努力して好かれるのもあると思うけどそれ以外の何かもある気がする~。もちろん努力とか共感とか発言力?代弁力?いろいろあると思うけど。
私もそういう女の子になりたい。短いけど今日はおわり
平日に出かけて「当たり前」が創られているところを見る
ド平日の今日、用があって新宿を歩き回ってたんですけど。
ほんと平日の真昼間に好き勝手歩き回ってすみませんって感じでほっつきまわってたんですけどね。土日休みに慣れすぎたから。
まず、興味本位で、行ったことないしな~ってふらっと入った新宿御苑で、びっくりするくらい歩く羽目になりました。まさかね。新宿だしそんな大きくないだろと思ってたのに。
道が曲線の連続で方向感覚がどっかいく。門が3つくらいある。そんでびびるくらい広いとにかく広い。もう森。新宿に森があるとは思わなかった。
相当歩いたよなあ、と思い見た歩数計は、既にノルマ(1日10000歩)をとっくに超えていて、歩いている人は外国人だらけで自分ちょっと浮いている感じがして、増して天気も良くなかったし、予想外の歩き疲れちょっと萎えながら入ってきた門を探している時に、急にどこからか生生しい草の匂いがしたんですよね。
小さいころに公園を転げまわってたときのことを思い出しちゃって、猛烈に懐かしくなっちゃって。香りがしたほうを見てみたら、「環境省」と貼ってある大型の芝刈り車がのんびり走っていて、その奥には剪定鋏を持った人がシャクシャクと木の剪定をしていました。おそらくプロの方々だったのでしょう。「これが仕事なの」っていう声が聞こえてくるような、慣れた手つきと、日常感。こういう人たちがいて、観光案内に立派な写真が載って、それを見に来る外国人に立派な庭だと思ってもらえてるんだな、っていう、まさに「当たり前」を創る裏方を垣間見ることが出来ました。
ああ、『新宿御苑』の日常なんだな~って。
裏で支える人が黙々と綺麗な園庭に整備していること。そこにはなつかしい草の香りがすること。とても穏やかな時間。
そしてそのあと私が向かったのは、マルイ。
特にお目当てのショップは無く、ただ新宿御苑から近かったという理由でフラフラと入って行ったのですが、そこでは「マネキンに着せる服、赤と黄、どっちがいいか…」って、じっくり品定めしている感じで、店員さんかデザイナーさんかはよくわかりませんが、全裸のマネキンに何度も、その赤色の服と黄色の服を交互にあててみて、悩んでいる様子でした。
ああ、私たちが何気に見ているマネキンコーデも、誰かの手で創られているものなんだなって、思うと、普段見ている完成されているマネキンコーデもそうやって、頭を悩ませながら創られているいいもので、とってもパワーの籠ったものなんだ。って。平日じゃないとこんな様子を見ることが出来なかった。
普段、特に土日祝。みんなが楽しむために出てくるところ、新宿。だけど、平日には色んな所で裏方の仕事が見れる。これだけで、平日にほっつき歩いてよかったって思う。私はいろんな職種の人のそれぞれの「日常」を見るのが好きなのかもしれない。
せかされている
返事しなきゃいけないけど仕事ではないことって、どうすりゃいいんだろうね。気分でいいの?でも返事遅いと私自身の評価落ちそうじゃない?まめに返事したり反応したりする人の方が好かれそうだけど、そんなに根詰めてやるもんじゃないし自分が病みながらもやるもんじゃないし。仕事じゃないんだから。
でも自分の評価を保ちたいって思うなら、そうやった細やかな対応やら継続性やら安定性やらにずっと気を使ってやっていかなきゃいけないのかな?めっちゃ疲れそうなんだけど。
反応早い人には安心感得られるのはこっちも同じだけども。そういう人には甘えちゃうんだよね、心のどこかで。ギリギリに連絡してもあの人なら読んでくれるよねみたいな、この人にはいつ言っても大丈夫かなみたいな甘え。気難しい人になると「今の時間は送らないでおこう」なんて気を使っちゃうもんね。それがいらない人の方が付き合いやすいよねえ。
私もそういう存在でいたほうが友達も多かったかもしれないなって思うけど、都合の良い人にはなりたくないし、体調によって即返事出来たりできなかったりするから、せかされると辛いとこもあります。
考えすぎ?
楽しそうに生きているように見えて裏はそうじゃないかもしれない
カメラとかゲームとか絵とかブログとか、研究会に参加したりとか、好きなアーティストのライブに行ったりとか、アキバのメイドカフェ行ったりとか、ハンドメイドやったりとか。
ほんとにメンヘラなのか?って思われちゃいそう。色んなことしているし楽しそうに見えるかも。実際楽しいんだけどもね。楽しいけど病んでるよ。なんだろねこれ。
あと、あんまりひとつのことに打ち込めないんですよね~、贅沢かもしれないけど最近の悩みです。
インスタで楽しそうにしている人とか、Twitterで楽しそうにしている人とかはいっぱいいて、いいなあって思うけど、それって「楽しかった一部分」だけどピックアップしてるかもしれないよね。裏に闇(病み)抱えてるかもしれないけど、やっぱりすごく人生楽しそうに見えちゃう。
そういう楽しかったところばかり見えてしまうから、楽しかったことをいくつも発信している人とか、楽しかったことしか発信していない人が病んでると「は?」「何言ってんだこいつ」ってなるんですね…。私もうつ病に謝れとか仮病だとか言われないかな怖いな。
そうなるとさらに病みツイとかできなくなっちゃう負のスパイラルね。だから裏アカとか病みアカとか作ってもいいから放出していったほうがと思うんですよ私は。
自論ですけど、楽しいとか幸せ→SNSに投稿ってすんなりいくと思うんですよね~。旅行に行ったとかおいしいもの食べたとか。
でも、苦しいとか辛いとかしんどい生きづらい→SNSに投稿って、かなりハードルあると思うんですよね。テンションの差?
でもその負の感情を自分のうちにずっとため込んでいってたらマジで病む確率爆上がりだと思うんです。前向きのことばっかり言ってる人、たまに怖くなる。突然おかしくなるんじゃないかって。笑
あーあとは、楽しいこと(ポジティブなこと)だけ投稿したり表に出したりしていると、心がしんどくなったときそれ(ネガティブなこと)を頑張って表に出しても、「いやいや、あなたそういう事言う人じゃないでしょ」「キャラ違う」ってスルーされる可能性も無きにしも非ず…。
だから程よく、都度、ネガティブなことも出していった方がね、イイかなって思ってね、私は病みアカ界隈にいるのですよね。
人間星の数ほどいるんだし??って思ってもそうはいかず
諦められるようにあらかじめネガティブに考えることがあるんですよ。
ものすごく楽しみにしていることや期待していることに対して、やることが多くて、すごく好きな人が出来たときは、恋は盲目状態にならないうちに、「まだこの人と喧嘩別れしても平気?」「フラれても平気?」って自分に問いかけます。ネガティブすぎ!でもそうやってセーブしておかないと。自衛しているのかもですね、起こるかもしれないショックに耐える自信が無いから、こうやっとかないといざ起こったときショックでつぶれてぶっ倒れて何もできなくなりそう。
で、ブログのタイトルなんですが「人間星の数ほどいるんだし」は、聞いたことのある、納得して諦めるための言葉ですよね。でも、そうはいっても、好きになっちゃった人は世界で一人しかいなくて代わりがきかないし、ほかにいい人がいるかもなんて気持ちになれない!ってときにはもう、効果がない。
私、すごく好きになっちゃった人がいるんですけど、その人にもし嫌われたらどうしよう、わたしは今まで通り過ごしていけるか?っていう考えがグルグルしちゃって、もう、嫌われても平気とは言えないから、逆にこれからどうしていけばいいんだってなっちゃってね。
たったのひとり、それこそ人間星の数ほどいるのにその一人に嫌われちゃったら自分を保てないの?ってね、ハハハって感じ。でもそうなんですよねえ。
なんの拍子で、知らない他人のままなのか、こんなに自分に影響を与えてくれる人になるのか、わからんですね。あの日あの時あの場所で君に会えなかったらぼくらは見知らぬふたりのままってやつです。
出会えたことや話したことは自分にとってとっても意味のあることだし、よかったって思えるし、これからも話せたらいいなって思うけど、好きになりすぎると勝手につらくなるからセーブしないとね私。なんで「たまたま」「偶然」そうやって出会ったたったひとりをそんなに好きになるんだろうねえ。自分の人生長いのに、いろんなことが起こるだろうに、そのたった一人がめちゃくちゃ大きな影響を与えるのは何でだろうねえ。
人っていっぱいいるし、出会いの場は自分が行動すればたくさん持てるだろうにねえ。
よろしくない言葉かもしれないけどね、「乗り換えらんない」んですよ。好きになったひとから乗り換えるなんてむり、すぐそばに100人の候補がいてもあの人がいいみたいな。うわあ、重いなあ。
好きになったときって、いやそうじゃなくてもか、けっこう心って狭い世界に住んでるんですねえ。
三年前のリスカ跡が消えない
何やっててもくっついてくるし視界に入る。
服着てても着てなくても、どこいっても、リスカ傷のあるままだし、メンヘラだし、隠す方法いろいろ試したけどそれをやっている自分がみじめだし、完全には隠せないし。
やってるときは、はっきりと傷が残ってくれる方が楽になれると思っててそうやってたけど、あー、思い出すのもしんどくなってきた。
でもやっぱり最近またしたくなっちゃって、元々傷あるからもういいよねみたいな諦めもある。
目立たないところならいいかなと思ったけど、自分の体だからやっぱり四六時中どこでも自分と一緒に居るからなあ、肉体的な意味で。
ほんと、傷跡ってどこいってもついてくるね。