めんへらるんるん【日刊】

がちめんへら女子を合法観察できる日刊ブログ

「うまい」いくら

f:id:menherarunrun:20181104005923j:plain

 

子供のころから言葉に気を付けるようにしつけられたんですけど、その中に「女の子がうまいって言うのは乱雑です。おいしいと言いなさい」っていうのもあったんですねー。大学に入って彼氏が出来て「うまー」がフツウになって次第に親とじっくり食事をすることも減って、しだいにこの矯正は崩れてきてしまったんですけど。

 

ちなみにこのイクラはほんとに美味しかったし、そこそこいいデジカメで撮ったので、けっこうな飯テロ要素がありますねえ。

 

飯テロという言葉も、ツイ廃になるまでには使うことに抵抗感がありました。テロって言葉がニュースで飛び交っていたのを見て、「遊び半分で使う言葉じゃ無い」って思ったからです。くそマジメですね。

でもツイッターにずっといると飯テロなんて言葉は日常茶飯事で、見るたびに「わきまえてない」ってイラついていた気持ちもどっか行って、自分の中でもなあなあになってしまいました。

あと飯テロという言葉を別の言葉に置き換えられなかったんです。言い換えられたらそっちのほう使って過ごしていけばいいんですけど、「お腹減ってる人が見ると精神的に大ダメージをくらう写真」を「飯テロ」の三文字で表せるのが便利過ぎた。

 

別の言葉に置き換えられるかどうかの観点でいうと、「すごいおいしい」は未だに許せない気持ちがあって、見るたびに(間違った日本語だからソレ)ってイラついてしまいます。

 

でもそうやって腹たてて、「この人はなってない」ってそこだけで決めつけて、「嫌い!」ってなりたくない・・・って思った

こうやって縛られて先入観持っちゃうのも生きづらさなのかな

 

広辞苑作ってる言葉のプロフェッショナルが「正しい言葉使いじゃなくても仲良くコミュニケーションできたらいいじゃない」ってニュアンスのことをテレビで言ってたのが雷落ちるくらい衝撃だった。

なんのテレビだったか、どんな名前の人だったかは忘れちゃったけど、思い出したくてググってたら「たぶんこの人かな」っていう記事を見つけられた。シェアします。是非読んでみてください。

 

 みんなが日常的に使う言葉が段々くずれてきて、間違いだと言われる言葉が広がって正しい言葉になっていく。言葉の歴史はそういうもので、世間で使う人が増えていけば、えらい人が何を言っても言葉は変わっていくんです。

本来、言葉はとても民主的なコミュニケーションの手段であるはずなのに、その言葉が人を差別する指標になってしまうというのがいやだなぁって思うんです。気遣いさえ忘れなければ、もっと、豊かに自分の言葉を使っていいと思うし、それをおおらかに受け止め合えるといいと思うんですよね。

 

岩波書店 辞典編集部 平木靖成さん | 多摩てばこネット ~東京・立川発 街と街、人と人をつなぐサイト~