この世は刺激が多すぎる
カメラを手に歩いている時は普段気づかないことに気付けると良く言う
これって老化防止にいいってテレビで見た気がする
ほんとうにそういうのがあるみたいだ
私たちは刹那をいきていると思うが
『シニア時代の「身体」と「頭」と「心」に効く写真のチカラ』|NPO法人フォトカルチャー倶楽部
私は普段からカメラ持ってない日のくせに、街角のポスターを見入ってしまったり、待ち合わせているだろう人の様子を見てほほえましくなったり、マナーを守らないおじさんにムカついて勝手に動悸を起こしたり、歩道で「どけや」ってチリンチリン後ろからベル鳴らしてくる自転車に対して「違法野郎が」って意地でも端によらなかったりとか。
刺激が多すぎる。ただ生きているだけなのに疲れる。子供みたいにぱっと気を引かれたものがあればそれに気を取られてしまうし、くそおじさんに対して「この人も疲れてるんだろうな」なんていう赦しもできない
写真を撮ってる時も、スマホばっかみてる親から離れて立ち入り禁止の場所に走っていく子供がいて撮れなかったりする、イライラする、その子の親に対して
息苦しい、他人にとっては普通でも私にとっては普通ではない、生きるための呼吸がしづらいなんておかしいなあ、なんて思う
なのになんでカメラが趣味なん
刺激が強すぎる私の世界を残すには力が弱すぎる、歩きたばこおじさんの姿とか写真に撮ってやりたいがそれは出来ない
不完全で不安定なやつ