めんへらるんるん【日刊】

がちめんへら女子を合法観察できる日刊ブログ

誰かに採点されることのない文章

まさにブログ。Twitterもか。誰かに採点されることのない文章だからすごく気楽に書けるし、自分の本性というかあいまいさというか、そういうのも出ちゃってると思う。そこがいいとこだと思うし永遠に採点されなくていい、むしろ採点しないでと思う。

 

これを思ったのも、わけあって対面で話すことになったおじさんに直接「お前の話には起承転結が無い」とか「勢いだけ」「何が言いたいの?」って言われたのを引きずっているからなんだけど。会話してから1分もたってないうちにそう言われちゃったら「はあ」しか言えなかったけどさ。でも、ブログも最近はほぼ話し言葉に近い感じで書いているから、「ブログでもそうかもしれん」って思った。

 

採点されていたころは、そりゃあもう起承転結のことをメチャクチャ考えてた。

というか点を取れる文章に寄せていた。

起承転結に加えて、小学生の頃に言われていたことは「かぎかっこ(誰かが言った言葉)で作文を始めろ」で、中学校になって小論文が出てくると「結論から書け」「最後にもう一度結論を書け」でしたし、高校大学のころは「まず、つぎに、そして、で段落を作れ」「言いたいことは〇個ある→一つ目は、二つ目は、と書き進めるのがよし」と教わり、就活で言われたのが「君の履歴書は、構成がプログラム構文みたい。SE向いてるよ」だった。

 

テストも入試も就活も、行きつく先は採点だの評価だので、誰かのこと、例えば先生とか試験官のことを考えて文章を書いてて、ブログもやってなかったし、「文章で自己表現する」っていう考えが無かったんだろうな。情報をまとめる手段でしかなかった。

 

今はこのブログを自由~に書いてて、言いたいことけっこう言ってて、自己表現してる~って実感がある。自分のココロ救済してる。「お~よちよち…言いたいことあったんやな…ブログにかいてみるか?な?よちよち」って感じ。

 

自由にやったらやったで、私の文が気にくわない人とか、得られる情報が無いから価値低いとか、そういう人もいるんだろうけど、別に高得点もらうために書いているわけじゃないから、これまとめサイトとかじゃないから…。文の感じがすきと言ってくれた人もいるから…。って自分に言い聞かせてる。

三点リーダー(…)は単体(3つの点)じゃなくて、6や12の点(……)にして使うやつだとか、「!」のあとは一文字分空白入れろ! とかのルールも忘れてはいないけど、別にいいかなー。ブログだもん。それに紙で読むのとブラウザで読むのとでは読みやすさの違いってあると思うもん。「なってねえなー」と言われても「なってはないです」。小説書くときはルールに従って作文するつもり。

 

あーあと、偉そうなことを言うと、この書き方をすることで、あえて読んで欲しい人を選んでる。「なってねえなー」でブラウザバックする人にはまあ伝わらないだろうなと最初から想定してる。

声を大にして「みんな知ってくれー!管理職の方ー!主婦の方ー!思春期の女の子ー!」って叫びたいときは箇条書きにもするし、ですます調にしたりとかもね。このとき、点数を取りに行ってる書き方。評価が欲しいと思ってる。

いま(このブログ文)は点数とらなくていいや!の書き方だねー。

 

評価対象となりえる文章(論文もだしまとめとかも)もとっても大事だと思う。伝わりやすさ読みやすさを考えて書かれる文章がないと、検索結果悲惨だよ。マジ情報が欲しい時に得られないし、自分も恩恵受けてる。

うわめっちゃ読みやすいし、この構成作るとかリンク張る作業とか時間かかってんだろうなースゲー!って思うブログもあって、自分もこのくらいやらねばと思いつつ出来なかったりする。あ、「~たり」は2回使うべきなんだっけ本来は。「~したり~したりする」って感じで。その辺までキチキチとしてない感じが、友達とだべる学生っぽさみたいなのがない?むしろ話聞きやすいみたいな。正しい日本語じゃないのに親しみやすさがあるのも不思議ね。

 

ま、たまには評価のことを考えずに、自由~な文章もアリなんじゃないかなと思う。あとここまで読んでくれた人とは色々とお話できそうな気がする。

採点されることのない文章だと割り切ると、ラク

ラクだから色んなことを話せるし、毎日更新できてる。