めんへらるんるん【日刊】

がちめんへら女子を合法観察できる日刊ブログ

出来ることじゃなくて出来る量を比較してしまう

副題:自分にとっての当たり前とほかの人の当たり前

 

 

自分に出来ることじゃなくて自分にできるを比べて落ち込んでしまう、勝手に。昨日フォロワーさんにリプもらって気づいたかも。

 

仕事で担当が違うみたいに、ふつーに世の中、役割分担して出来ることやったり出来るようになったりして生活しているのにねー。ゲームでもそうなのにね、ほのおタイプみずタイプくさタイプ、アタッカーヒーラー、力が強い魔法が苦手、あのボスに向いててあのボスには向いてない。って。

 

私は仕事ではマニュアル作ったり集計表作ったりが得意な方なんですよ。時間も忘れて作ることには没頭できます。1日8時間マニュアル作りもばちこい。

でもミスを正す仕事は苦手なので、ダブルチェックはほかの方にお願いしてました。

これだけだと「ちゃんと自分の得意不得意割り切ってんじゃん!」って思われるかもだけど、ダブルチェックで私のミスが発覚するたびに、「あの人は見つけたのに私は見つけられなかった」と、「ミスを見つける力」で比較して落ち込んじゃってねー。なんでそんな違う土俵で競って勝手に落ち込むのか、出来ること、じゃなくて、出来る量やレベルで比べてしまうのか…冷静に考えられるようになったの昨日です。

マニュアル作る力とかけられる熱意モチベとかで争うと、私が勝ってたかもフフフ。そう考えられるのもまた、今だから、だけど。

 

得意なことって、まあ、自分の中では「ふつーだよ?」になっちゃう。今日の仕事マニュアル作りだけでいいんですか?8時間?マ?ラッキーラッキー今日は楽しそう。って、それが私の中では当たり前な感情でも、ほかの人から見たら「よくそんな出来るね」ってね、そういうね。逆にあの人すげえなーって思って話しても「え、そうかな?」って返されることもあります。謙遜もあるかもだけど割と、本人の素直な反応なんだろなーって思ってます。

 

あの子のふつーと私のふつーはちがうのに、都度都度、出来る量で比較するのはもう癖になっちゃっている。私はあの人ほど、推しに貢げていない、しくしく…。私があの子に出来ることは少ない、あの人が10貢いでるのに私は4貢げているかどうか…。って感じ。生生しくてわかりやすかったかな。

「出来ること」で比較していたならば、「私はあの子をイメージしたイラストを簡単になら描けるかもしれない、あの人には出来ないかもしてない、そうなると私にも出来ることはあるかも」って、いい方向に心が持っていけるかも。

そういうほうに考え方をシフトしていきたいが、なかなか難しいね。

瞬間で劣等感抱いちゃうから。「隣の人の方がバグ見つけるの早い、なのに私は全然」

「あの人売り上げ計算早い、私超遅い」。絵でもこうなるの、「あの人めっちゃ絵がうまい、私なんか全然だめだようまく描けないよ」ってもっとめんどくなると「あの人絵は描けないよ~って言ってるけどホントかはわからん、だが推しにめっちゃプレゼントしている。私今絵をかけたとしてもへなちょこだし、増して全然推しにプレゼントできなかった、つら」ってなる。増して、ってのはもうほんと謎。

なんか一種の病気のように良くない方向で考えちゃうのがあるわ、つらたん。

 

----ここから副題:自分にとっての当たり前とほかの人の当たり前--------

 

そういえば小学生の頃にボランティアしない同級生に腹を立てたときに、担任の先生に呼び出されて、「あなたが当たり前に出来ることでも、ほかの人にとってはそうじゃないことがあるから、もう押し付けないで」って指導されたことがあります。で、中学校にあがって全く違う担任にある日呼び出され、心当たりなんもなく、で、言われたことは「謙虚になりなさい」その一言だけだった。相当、アレだったんだろうな私。今でも私には謙虚さはあまり身についていないと思う。笑

 

身近な目標として、自分に出来ることは当たり前じゃないんだっていうことを語れるようになりたい。私がふつーに出来ると自分で思っていることでも、生育環境がよかったからとか、たまたま向いていたとか、向いていると気づけたバイトをしていたとか、出来るように勉強したゼミがとってもいいゼミだったとか、あとは私の努力も、含まれている。こんなにいっぱいの人、場所、恩恵を受けて私の「ふつー」が出来ていることを忘れないようにしたい。

あと、生きづらさ研究会では、自分にとってふつーだよ?っていう話も聞いてもらえるんですけど、「え、それはふつーじゃないと思うよ…?」とか「なんでそれがふつーなのさ」とか言われることがあって、そこで「そういわれれば…何故なんだ?」って考えさせられる機会も頂けてて、なんかほんとありがとうございますほんと…。