相手の病気を理解したいと思ったとき知識はいらないと思うんだよ
「正直、想像つかないわ。そんな症状出るなんて相当辛そう」
そう言ってもらえるだけで救われる。話すと楽になれる僕からしたら、聞き手さんは病気に関する知識はゼロでいいむしろゼロのほうがいいとすら思う。
人によって症状は様々だから。
精神障害って、見えない障害って、ほんっとにたくさん種類があります。そして人によって程度とか現れ方とか違います。うつ病セルフチェックとかやってみた人ならわかるかと思うんですけど、診断基準でも「この中から〇個以上当てはまったら受診をおすすめします」って感じなんですよね。どれに当てはまっていくつ当てはまって重度軽度は人それぞれ。
症状の多さで例をあげるなら、精神障害まではいかないかもですけど、割と身近でつらいPMS(月経前症候群)なんて、やばいですよ。
PMSの症状は人によってさまざま。
また同じ人でも月によって違い、その種類は200以上と言われています。
……200以上ですよ。笑えてきますよね。
その人が何に苦しんでいるのかは、本人の様子を見たり話を聞いたりしないとわからない。知識だけでは片づけられないのが現実問題としてあると思うんですよねえ……。
話すと楽になる状態のメンヘラには、どうぞ話させてやってください。
「今までは甘えるなとか性格だとかで一蹴していた親が、自分の病気について勉強して分かろうとしてくれるようになって、とても嬉しかった」という人も多い。
・話せる状態じゃないときや、話そうと思っても話せない、トラウマで言いづらいメンヘラには、まずは学習アプローチ
・話すと楽になるメンヘラには、いったん知識をまっさらにして話を聞いてあげるアプローチ
が効果あるんじゃないかなあと思います。
変に知識をつけると、相手の話したい気持ちを押しつぶしちゃうかも。
病気について調べて、知識をつけることで理解しよう、寄り添おうとしてくれる気持ちはとてもありがたい。ありがたいんだけどね。
聞いてもらうってことは、つまり自分が話すっていう事で、どういう症状があって辛いんだとか、最近こういう事があって息苦しいんだとかが僕らの話題なんですけど、知識がある人に「それ本で読んだ」「傾向のひとつだね~」「あるあるらしいね~」って、「言わなくても知っている」スタンスを出されると、何を話したらいいのか相談したらいいのかわからなくなっちゃって、言葉が詰まって、話せなくなっちゃうことがあります。イコール、話せないということに……。
僕の主治医も、病気についてかなり精通しているプロフェッショナルなのですが、症状を話すときにはずっとうんうんと聞いてくれます。超安心感があります。
悩みを聞く立場になったとき、悩みを持つ人に「話させる」という気持ちで向き合ってみると、案外色々話してくれるのではないでしょうか。話してほしいなっていう姿勢=興味を持っているよ、話を聞くのは嫌じゃないよという表現のひとつでもあるので、話し手に安心感を与えることもできるんじゃないかなと思います。
知らないことを教えてっていうだけで、相手に話させることにつながります。なので「病気に関する知識はゼロでいいむしろゼロのほうがいいとすら思う」んです僕は。
脳に異常が起こっているんだと自分で自分を安心させたい。普通の人の感覚を知りたい。
メンヘラエピソードあるある「病院で病名が付いたらめちゃくちゃ安心した」。
病気だったんだ、甘えじゃなかったんだ、脳の異常だったんだっていう安心感。心の救いみたいな、拠り所みたいな。
普通の人の「そんな反応出ちゃう人はあんまりいないと思うけど……」「え、そんなことあるんだ想像つかないや」「そういう思考になるのがイメージできない」っていう反応も実は、自分が病気なんだって思える要素になりえます。そしてそういう反応をしてくれる人って、病気についての知識ゼロな人が多いです。
その人がそこから、メンヘラを叩くか受け止めるかはまた別の話ですけどね。
なんだかんだ、うだうだ書き連ねたけど、メンヘラ話を聞いてくれる人は神!仏!ありがとうございます!
話を聞いてくれる。向き合ってくれる。こんな自分に時間を費やしてくれるなんてほんとありがとう。その気持ちだけで十分ほんとありがとうそしてありがとうなので、聞いてくれる側の人は事前に勉強しとこうなんて難しく考えなくていいんだよ……。そんな僕です。